
この写真は、2012年3月11日、東日本大震災から一年を迎えた宮城県石巻市・大川小学校での供養の様子を伝える産経新聞の記事です。
私は当日、現地に僧侶として参列し、亡き方々のご冥福をお祈りいたしました。報道関係者が多数いる中、撮影は辞退しましたが、現地での祈りの記録として本紙面をご紹介させていただきます。
出典:産経新聞 2012年3月12日 朝刊より
あの日、宮城県石巻市・大川小学校で祈ったこと
2012年3月11日、私は東日本大震災の被災地である宮城県石巻市を訪れ、大川小学校跡地にて、亡くなられた児童・教職員・地域の方々への読経と祈りを捧げました。現地には多くのご遺族と報道関係者が集まっておられました。
当時、私は報道にお寺や私の名前が出ることを控えていただくようお願いしておりました。それは、祈りを営利目的に見せたくなかったからです。現地にはテレビ局のカメラが何台も入り、僧侶が後ろに付き添うように映っている姿も多く見受けられましたが、私はただ静かに手を合わせることを選びました。
あの祈りの場で感じたのは、言葉を超えた悲しみと、それでも残された者が手を合わせるという力強い願いでした。私は浄土真宗の僧侶として、祈りの姿勢こそが伝えるべきものだと信じ、読経に徹しました。
この新聞記事には、当時の現地の様子がありのままに写されています。私は写っておりませんが、たしかにその場に立ち会い、祈りを捧げておりました。私は新聞記者さんに取材された時「説法では片付けられない状況に宗教者も何も力になれないもどかしさを感じた。仏様に救ってもらいたい」と頭を下げた。
この記録を残すことは、未来の誰かが「僧侶とは何をする人なのか」と問うたときに、少しでも伝わればという願いです。