
執着を少しずつ手放していくことで、心は軽くなり、真実がはっきりと見えてくるのです。
私たちの心は、知らず知らずのうちに何かに執着しています。物、立場、人間関係、価値観・・・「これがないと幸せになれない」「こうあるべきだ」と強く思い込むことで、心はどんどん重くなり、苦しみを生み出してしまいます。仏教ではこの執着を「我執(がしゅう)」といい、自分の思いに縛られることで真実が見えなくなると説かれています。
例えば、コップの水が濁っていると、中に何が入っているのか見えません。しかし、その水を静かにしておけば、やがて澄み、底まで見えるようになります。心も同じで、我執によって濁っている間は、物事の本質を見誤り、誤った判断をしてしまうのです。さらに、執着は固定観念を生み、時にはそれが原因でストレスや不安を抱え、心の病へとつながることさえあります。
仏教では「無常」という真理を説いています。すべてのものは変化し続け、何ひとつとして永遠に同じ形では存在できません。その事実を受け入れず、自分の思い通りにしようとすると、苦しみが生じます。逆に、変化を受け入れ、執着を手放すことで、心は自由になり、穏やかな気持ちで生きることができるのです。
執着を超えるためには、まず自分が何にこだわっているのかを知ることが大切です。「これがなければ生きていけない」と思っているものが、本当に必要なのかを見つめ直してみる。すると、意外にも「なくても大丈夫だった」と気づくことがあるでしょう。そうして執着を少しずつ手放していくことで、心は軽くなり、真実がはっきりと見えてくるのです。
仏道の実践とは、こうした心の在り方を日々問い直すことでもあります。執着を手放し、より自由で清らかな心を育てていきたいものですね。合掌🙏
「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」
このお話は、四十九日法要でもお話することがあります。四十九日はご家族が集まり、感謝とお別れを偲ぶ大切な時です