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悟りは出家にも在家にも関係なく訪れる|【公式】お坊さん@出張®︎

大切なのは、日々の生活の中で心をどのように保ち、煩悩に振り回されずに生きるかということです。

仏教では、悟りとは特定の環境や立場によって決まるものではなく、心の在り方によって得られるものとされています。出家者であれ在家者であれ、仏法に生き、煩悩を超えて真理に目覚めることができれば、それが悟りの境地です。

お釈迦様の時代、多くの弟子たちは出家して修行に励みましたが、中には在家のまま悟りを開いた者もいました。たとえば、ヴィサーカーという女性信者は、在家の身でありながら深い信仰と智慧を持ち、多くの功徳を積んだことで知られています。また、スダッタ長者(給孤独長者)も、在家のままで仏教の教えを深く理解し、実践しました。

出家は確かに修行に適した環境を整えやすいですが、それだけが悟りへの道ではありません。大切なのは、日々の生活の中で心をどのように保ち、煩悩に振り回されずに生きるかということです。たとえ俗世にあっても、正しい道を歩み、慈悲と智慧をもって人と接するならば、それは出家の修行と同じく尊いものとなります。

私たちは皆、それぞれの人生の中で仏道を歩むことができます。大切なのは、自分の置かれた場所で最善を尽くし、心を磨くこと。悟りとは遠い世界の話ではなく、日常の中にこそあるのです。

「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」

このお話は、四十九日法要でもお話することがあります。ご供養の中でも特に重んじられるのが49日です。

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この記事を書いた人

大阪府東大阪市の龍眞院(代表 小田昌良)です。浄土真宗本願寺派の僧侶として、関西一円でお葬式や法要を心を込めてお勤めしております。

ご縁をいただいた方々が、阿弥陀如来の大きな慈悲に包まれ、少しでも安心してご先祖供養に向き合っていただけるよう、日々精進しております。

このホームページでは、仏事に役立つ情報や仏教の教えを日常に活かす法話を発信しています。

またXでも法話を配信し、より多くの方に仏縁を結んでいただけるよう努めております。

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