
無理に信じようとするのではなく、疑いながらも「仏の慈悲を感じてみる」ことです。
疑いは信じることに繋がる
仏の存在を信じることは、心の迷いや苦しみを手放し、安らぎを得る第一歩です。私たちは日々、悩みや不安に揺れ動きますが、それらの根本には「自分がどうなるのか分からない」という恐れが潜んでいます。しかし、仏の光に照らされることで、その不安も少しずつ和らぎます。
阿弥陀仏の慈悲は、私たちがどのような心を持っていても、どこにいても変わらず注がれています。このことを「まずは信じてみる」ことが大切です。「信じなければ救われない」のではなく、「信じることによって心が開かれ、仏の導きが自分に届く」ようになるのです。
ただし、「信じる」とは単に言葉で認めることではありません。仏教では信疑一如(しんぎいちにょ)と説かれ、信じることと疑うことは一つの如し、つまり対立するものではなく、共に信心へと至る大切な道とされています。疑うことは決して悪いことではなく、「本当に仏の救いはあるのだろうか?」と問い続ける中で、少しずつ確信が生まれます。無理に信じようとするのではなく、疑いながらも「仏の慈悲を感じてみる」ことが、信仰の第一歩となるのです。
また、信じることで心が清まり、行動も変わっていきます。他人を思いやる心、感謝する心、許す心を持つことで、仏の教えが実生活に活かされていきます。心が穏やかになれば、言葉も柔らかくなり、行動も落ち着き、周囲との関係も自然と調和していくでしょう。
仏の力を信じることは、心を清らかにし、悟りへの道を歩むための大切な一歩です。今日も仏の光に包まれながら、穏やかな一日をお過ごしください。合掌🙏
「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」
この法話は浄土真宗の49日法要のご縁でもお伝えすることがあります。故人が仏様の御国に往生される大切な節目が「49日法要」です。
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