
間違いに気づいた瞬間から、心は少しずつ自由になっていきます。
四つの心の迷い 常楽我浄
私たちは日々の暮らしの中で、自分では正しいと思いながら、実は「思い違い」の世界を生きています。仏教ではこれを 四顛倒(してんどう)と呼び、「無常を常と思い、苦を楽と感じ、無我を我と執着し、不浄を浄いと見なす」四つの心の迷いとして説かれます。
本来、すべてのものは移り変わり、思い通りにならないのが人生です。しかし私たちは、若さや美しさ、地位や人間関係がいつまでも続くように錯覚し、それを失うことに強い不安や苦しみを感じます。また、本当は苦の原因となる欲望や執着を「これがあれば幸せになれる」と信じ込み、自分中心の考えにしがみついてしまいます。
こうした妄念は、特別な人だけが持つものではありません。むしろ、誰もが自然に抱えている心の癖のようなものです。仏さまは、それを責めるのではなく、「まず気づくこと」が大切だと教えてくださいました。間違いに気づいた瞬間から、心は少しずつ自由になっていくからです。
阿弥陀仏の光は、正しく生きようと努力できない私たちを、そのまま照らしてくださいます。自分の妄念に気づき、「ああ、私は思い違いをしていたのだな」と受け止めるとき、無理に執着を断ち切らなくても、心は自然とほどけていきます。
正しく物事を見るとは、完璧になることではありません。迷いながらも照らされ、生かされている身だと知ること。その気づきの中にこそ、静かで揺るがない安らぎがあるのです。合掌🙏
「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」
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