
許しとは「相手のため」以上に、「自分自身のため」の行いです。
許しは自分に向けた慈悲
仏教で説かれる「慈悲」とは、ただ相手に優しくすることではありません。
そこには、自分自身の心をも救う深い意味が込められています。
私たちは日々の生活の中で、誰かの言葉や態度に傷つき、怒りや恨みを抱えてしまうことがあります。その思いを握りしめたままでは、相手よりも先に自分の心が疲れ、重くなっていきます。
他者を許すという行いは、相手の行為を正当化することではありません。「もう苦しみ続けなくていい」と、自分の心を解放してあげることなのです。許せない気持ちを抱えたままでは、心は過去に縛られ、今を生きる力を失ってしまいます。慈悲の教えは、その鎖に気づき、そっと手放す道を示してくれます。
仏教では、怒りや憎しみもまた因縁によって生まれたものと捉えます。相手にも事情があり、自分にも受け取り方の癖がある。その事実に気づいたとき、心に少し余白が生まれます。その余白こそが、安らぎへの入り口です。
ここで大切なのは、許しとは「相手のため」以上に、「自分自身のため」の行いであるという点です。許せないという思いは、過去の出来事や苦しみに心が執着し続けている状態でもあります。その執着こそが、今の自分を縛り、静かな苦しみを生み出しているのです。許しとは、その苦しみにしがみついている手を、少しずつほどいていく行為にほかなりません。
許しは一瞬で完成するものではありません。時間をかけ、揺れながら、少しずつ育てていく心の働きです。完璧に許せなくても構いません。「手放そうとする心」が芽生えた時点で、すでに仏さまの慈悲は私たちの内に息づいています。その歩みの先に、静かで確かな心の安らぎが待っているのです。合掌🙏
「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」
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