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忘れることも、心のゆとりのあらわれ|【公式】お坊さん@出張®︎

ひとつくらい抜けても大丈夫と思える状態には、心の余白が生まれています。

目次

本当のゆとりとは

ゴミの日を忘れてしまう。

そんな自分に「だらしない」と感じてしまうことはありませんか。

私たちは普段、「忘れないこと」「きちんとすること」を良しとし、それが出来ないと自分を責めてしまいがちです。けれど本当にそうでしょうか。

絶対にやらなければならない大切なことは、案外忘れないものです。仕事の約束や大事な予定は、自然と頭に残り、意識して守ろうとします。

一方で、ふとしたことを忘れてしまう時があります。その時の自分をよく見つめてみると、どこか肩の力が抜け、必要以上に気を張っていない状態であることも少なくありません。

いつも何かに追われている時ほど、「忘れてはいけない」と強く思い、心は緊張し続けています。頭の中は予定や不安でいっぱいになり、余裕を持つことが難しくなります。

反対に、少し心がゆるんでいる時は、すべてを抱え込まずに済みます。完璧であろうとする力がゆるみ、ひとつくらい抜けても大丈夫と思える状態。そこには、心の余白が生まれています。

本当のゆとりとは、何もかも完璧にこなすことではなく、少しの抜けや不完全さを受け入れられる心のあり方なのかもしれません。

だからこそ、何かを忘れてしまった時、ただ反省するだけで終わらせるのではなく、「今の自分には少し心のゆとりがあるのかもしれない」と、そっと受け止めてみてはいかがでしょうか。

忘れることも、心が整っているサインかもしれません。合掌🙏

「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」

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この記事を書いた人

大阪府東大阪市の龍眞院(代表 小田昌良)です。浄土真宗本願寺派の僧侶として、関西一円でお葬式や法要を心を込めてお勤めしております。

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このホームページでは、仏事に役立つ情報や仏教の教えを日常に活かす法話を発信しています。

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