
お釈迦様は「心が清らかであれば、言葉も行いも清らかになる」と説かれました。
自分の心を整える時間を持つ
仏教では「清浄心(しょうじょうしん)」、すなわち澄みきった心を持つことが、真の幸福への道とされています。私たちの心は、日々の出来事や感情によって絶えず揺れ動きます。怒りや妬み、執着があると、まるで泥水のように濁ってしまい、物事の本質を見失ってしまいます。しかし、その心の汚れを洗い流し、清らかに保つことができれば、日常の些細なことにも喜びを感じ、安らぎを得ることができます。
お釈迦様は「心が清らかであれば、言葉も行いも清らかになる」と説かれました。心の状態は、私たちの言葉や行動に表れます。もし、心に怒りや憎しみを抱えたまま誰かに接すれば、無意識のうちに言葉がきつくなったり、態度が冷たくなったりするものです。しかし、心を清らかに保ち、慈しみの心を持って人と接すると、その温かさが自然と相手に伝わり、良い関係を築くことができます。
では、どうすれば心を清らかにできるのでしょうか?仏教では「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の教えがあり、その中の「持戒(じかい)」と「禅定(ぜんじょう)」が特に関係します。持戒は、正しい道を守ること。例えば、人を傷つけない、嘘をつかない、感謝を忘れないなど、日々の小さな行いを丁寧に積み重ねることが大切です。禅定は、心を静めること。忙しい日々の中でも、深呼吸をしたり、お念仏を唱えたりして、自分の心を整える時間を持つことが、清浄心を保つ助けとなります。
心が清らかであれば、何気ない日常の中にも幸せを感じることができます。朝の陽ざしや風の心地よさ、人の優しさに気づけるようになります。心の清浄が幸福を呼ぶというのは、特別なことをしなくても、私たちがすぐに実践できる大切な教えなのです。
「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」
この法話は入仏慶讃法要のご縁でもお伝えすることがあります。お仏壇を迎えられる際の大切な儀式については入仏慶讃法要ページを参照して下さい。