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【苦しみの中にこそ、成長の種がある】

仏教では「四苦八苦」として、生老病死や愛別離苦などの苦しみを人生の一部として受け入れることが大切だと説きます。私たちが避けがたい苦しみを「嫌なもの」「不幸なもの」と捉える限り、心はそこにとらわれ、苦しみが増幅します。しかし、仏教の教えはそれとは逆で、「苦しみは学びの場であり、成長の種」と見る視点を持つことを勧めています。

苦しみの中にいるとき、人は本能的にその苦しみから逃れたいと感じます。しかし、よくよく考えてみると、人生で最も深い学びや大切な気づきは、順風満帆なときよりも、むしろ困難に直面したときに得られることが多いのではないでしょうか。例えば、大切な人との別れを経験するとき、失った悲しみとともに、相手の存在がどれほど大きかったか、そして今を大切にする心の重要性に気づくことがあります。また、病を経験することで、自分の体への感謝や、人との助け合いの大切さを知ることもあります。

苦しみとは、単に不幸ではありません。それは私たちが「何を大切にすべきか」を教えてくれる鏡のようなものです。仏教の教えでは、苦しみを逃げ場のないものと捉えるのではなく、そこに「悟りへの道」を見いだすことが重要だと説きます。「四苦八苦」を避けることはできませんが、その中にある学びの種を見つけ、自分自身を磨き上げることができるのです。

苦しみを通して成長するには、「受け入れる心」が必要です。これを仏教では「諦観」と呼びます。「諦める」という言葉にはネガティブな印象がありますが、仏教での「諦める」とは物事の真理を見極めて、無理に抗わず受け入れることを意味します。苦しみを一歩離れた視点で見つめるとき、その中に潜む成長の可能性が見えてきます。

苦しみは、私たちが人生をより深く味わい、豊かに生きるための大切な存在です。その中にこそ、仏が私たちに与えてくれた成長の機会があることを忘れずに、日々を生きていきましょう。

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この記事を書いた人

大阪府東大阪市の龍眞院(代表 小田昌良)です。浄土真宗本願寺派の僧侶として、関西一円でお葬式や法要を心を込めてお勤めしております。

ご縁をいただいた方々が、阿弥陀如来の大きな慈悲に包まれ、少しでも安心してご先祖供養に向き合っていただけるよう、日々精進しております。

このホームページでは、仏事に役立つ情報や仏教の教えを日常に活かす法話を発信しています。

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