
ストレス、体調不良、過去の経験←そうした要因が、その人の言動に影響を与えているかもしれません。
慈悲は単なる優しさではない
大地に降る雨は、乾いた土を潤し、草木を育みます。同じように、慈悲の心は、人の心を癒し、安らぎをもたらします。仏教における「慈悲」とは、単なる優しさではなく、相手の喜びを願い、苦しみを和らげる心の在り方です。「慈」は相手に楽を与えること、「悲」は相手の苦しみを取り除くことを意味し、見返りを求めない無限の愛と言えます。
お釈迦様は「慈しみはすべての人に平等であるべき」と説かれました。雨が特定の場所だけを選んで降るのではなく、大地全体を潤すように、慈悲の心もまた、特定の人だけでなく、誰に対しても向けられるべきものです。しかし、世の中には不条理な出来事や理不尽な行いをする人もいます。そんな人にまで慈悲を向けるのは難しく思えるかもしれません。
例えば、誤解やすれ違いから人間関係がこじれたとき、「相手が悪い」と決めつける前に、一歩引いて状況を見つめ直すことで、相手の背景や事情が見えてくることがあります。仕事や家庭のストレス、体調不良、過去の経験・・・そうした要因が、その人の言動に影響を与えているかもしれません。もちろん、すべてを許す必要はありませんが、相手の立場を少しでも理解しようとすることで、憎しみや怒りが和らぎ、関係を改善するきっかけになることもあるのです。
時には「慈悲をかけること」が難しく感じることもあるでしょう。人の心は水と同じで、冷たく閉ざされると氷のように固くなり、温かさを受け入れにくくなります。そんなときこそ、私たち自身が雨となり、少しずつ優しさを注ぐことで、相手の心を溶かし、潤していくのです。
今日、小さなことでいいので、誰かに慈悲の雨を降らせてみませんか?優しい言葉、笑顔、手助け・・・それらはすべて、相手の心に降り注ぐ温かい雨となるのです。合掌
「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」
この法話は四十九日法要のご縁でもお伝えすることがあります。ご家族が心を合わせて勤める大切な節目については四十九日法要ページを参照して下さい。