
修行とは特別なことではなく、日常生活の中にある ということを忘れてはなりません。
鏡を磨けば映る景色が澄む
【鏡を磨けば映る景色が澄むように、修行が心を澄ませる。】
曇った鏡にどれほど美しい景色が映っても、その姿は歪み、くすんで見えてしまいます。これは私たちの心にも同じことが言えます。心に煩悩や執着が積もれば、現実を正しく見ることができず、苦しみを増してしまいます。しかし、鏡を丁寧に磨けば本来の景色が鮮やかに映るように、心も日々の修行によって清らかに整えられ、真理を映し出すことができるのです。
修行とは特別なことではなく、日常生活の中にある ということを忘れてはなりません。仏道修行とは、山に籠もり厳しい修行を積むことだけではなく、むしろ 「今この瞬間をどう生きるか」 という日々の実践にこそ本質があります。
たとえば、
✔ 感謝する ー 何気ない日常の中で「ありがとう」と素直に伝えること。
✔ 怒りを抑える ー 感情的にならず、一呼吸おいて穏やかに話すこと。
✔ 気づきを大切にする ー どんな出来事からも学び、自分を成長させること。
これらは一見、些細なことのように思えますが、積み重ねることで心は磨かれ、仏の智慧に近づいていきます。逆に、「どうせ自分には無理だ」「面倒だから」と怠れば、鏡はすぐに曇ってしまい、真理を見る力が鈍ってしまうのです。
阿弥陀仏の慈悲に照らされながら、日々心の鏡を磨き、澄んだ景色を映し出せるように精進していきましょう。
「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」
この法話は百箇日法要のご縁でもお伝えすることがあります。49日を過ぎて百日目に営むご供養が「百箇日法要」です。
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