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慈悲とは、透けて見える“寂しさ”を包み込む光|お坊さん@出張®︎

私たち凡夫(ぼんぶ)の、ありのままの姿を受け入れてくださる阿弥陀さま🙏

目次

阿弥陀さまの光に照らされて

私たちの暮らすこの世界には、目に見えない寂しさや、言葉にならない弱さが静かに潜んでいます。

明るくふるまう人ほど心の奥では傷ついていたり、強く見える人ほど本当は誰よりも寄りかかる場所を求めていたりします。人は、この現実社会を生き抜くために、時に仮面をつけ、弱さを隠し、平気なふりをして歩いているのです。

しかし仏さまの慈悲は、その仮面の奥にある「本当の姿」をすべて見抜きながらも、決して責めることなく、そっと包み込んでくださいます。

透けて見える寂しさや弱ささえも抱きしめる・・・そのまなざしこそが、阿弥陀如来の本願です。

仏教では、人はみな「煩悩具足」の身、弱さを抱えた存在だと示されます。だからこそ、阿弥陀さまは「弱いからこそ救う」「欠けているからこそ抱きとる」という大いなる誓いを起こされました。他の宗教や価値観のように“立派になること”を条件とせず、ありのままの姿を受け入れるという他にはない救いです。

この眼差しに触れるとき、私たちはようやく「弱いままでも、迷ったままでも、見捨てられていない」ことを知ります。その気づきが、心の緊張をほどき、他人を裁く心を少しずつ手放す力を与えてくれます。

だからこそ、私たちもまた、人の表面だけを見て判断するのではなく、その人の向こうにある寂しさや苦しみに想いを寄せられる存在でありたいものです。仏教でいう“慈悲”とは、同情ではなく、「そのままのあなたを受け止めます」という静かなまなざしです。

阿弥陀さまの光は、すべての命を照らし、どんな孤独も包み込みます。

その光に照らされながら歩むことこそ、仏とともに生きるということ。

今日も静かに合掌し、慈悲の歩みを重ねてまいりましょう。

南無阿弥陀仏🙏

「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」

この法話は49日法要や年回忌法要のご縁でもお伝えすることがあります。

🔗49日の数え方・計算について▶︎

法要や法事の日程のご相談も承ります。信頼できる浄土真宗本願寺派のお坊さんが法要を厳修いたします。

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この記事を書いた人

大阪府東大阪市の龍眞院(代表 小田昌良)です。浄土真宗本願寺派の僧侶として、関西一円でお葬式や法要を心を込めてお勤めしております。

ご縁をいただいた方々が、阿弥陀如来の大きな慈悲に包まれ、少しでも安心してご先祖供養に向き合っていただけるよう、日々精進しております。

このホームページでは、仏事に役立つ情報や仏教の教えを日常に活かす法話を発信しています。

またXでも法話を配信し、より多くの方に仏縁を結んでいただけるよう努めております。

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