
今日という一日は二度と戻らない尊い時間なのです。
無常を味方にして楽しむ
仏教では 無常(むじょう)という言葉を、しばしば悲しみや儚さと結びつけて語ります。
確かに、すべてのものは移ろい、形あるものはいずれ失われていきます。
しかし、無常は決して嘆くためだけの教えではありません。
もし、この世界のすべてが変わらず、止まったままだとしたら、成長も出会いも生まれません。
喜びが永遠に続かないのと同じように、苦しみもまた永遠ではない。
無常であるからこそ、私たちは立ち止まり、学び、歩み直すことができるのです。
日々の生活の中で、思い通りにならない出来事や、思わぬ変化に出会うことがあります。
そのとき私たちは、「なぜこんなことが起きたのか」と心を乱しがちですが、仏教はその出来事の中にこそ、気づきと導きがあると教えます。
老いも、若さも、成功も、失敗も、すべては一時の姿。
だからこそ、今日という一日は二度と戻らない尊い時間なのです。
今を丁寧に生き、目の前のご縁を大切にすることが、無常を受け入れる第一歩になります。
無常を楽しむとは
【変化を拒まず、恐れず、昨日の自分に縛られずに、今日を新しい気持ちで迎えること】
昨日より少し優しく、少し深く物事を見られるようになったなら、それは確かな成長であり、人生を豊かにする歩みです。
無常は、失うための教えではありません。
変わり続ける世界の中で、希望を見いだし、学び続けるための智慧なのです。
変化を味方にし、学びを喜びとして、一日一日を大切に歩んでまいりましょう。合掌🙏
「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」
この法話は49日法要や年回忌法要のご縁でもお伝えすることがあります。
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