
大切なのは、沈黙か言葉かを選ぶことではなく、その奥にある心の在り方です。
沈黙できる心とは
私たちは不安になると、つい言葉を重ねてしまいます。説明し、正しさを示し、分かってもらおうとするほど、心は外へ向かい、かえって疲れてしまうことがあります。しかし沈黙できるとき、心はすでに争いの場から一段降りています。
沈黙とは、何も言わないことではありません。言葉を抑え込む我慢でもありません。自分の心で感じ取ったことと静かに向き合い、今目の前で起きていることを、そのまま受け取る姿勢です。そこでは、相手を変えようとする力みも、自分を守ろうとする緊張も、自然とほどけていきます。
日常の中では、沈黙が必ずしも正解とは限りません。夫婦や親しい関係では、思いを言葉にしてぶつけ合うことが、信頼を深める大切なコミュニケーションになる場合もあります。大切なのは、沈黙か言葉かを選ぶことではなく、その奥にある心の在り方です。
言葉巧みに語られる説明よりも、何も言わずに差し伸べられた手に救われた経験は、誰しも一度はあるのではないでしょうか。そのとき私たちは、言葉ではなく、心で受け取っています。
真実は、説明し尽くした先にあるのではありません。静まり返った心の中で、そっと気づかされるものです。沈黙できる心とは、何かを失った状態ではなく、すでに整い始めている心なのかもしれません。
沈黙の中では、自分の感情や相手の存在が、必要以上に歪められることなく見えてきます。言葉を減らすことで、かえって誠実さや思いやりが浮かび上がることもあるでしょう。沈黙は逃げではなく、心を丁寧に扱おうとする一つの智慧なのです。合掌🙏
「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」
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