MENU

【病を知ることで、心が癒される】

人の心には、誰にも言えない苦しみや迷い、執着が潜んでいます。それはまるで「心の病」のようなもので、放置していると自分自身を縛り、ますます重くなってしまいます。しかし、その病に気づき、向き合うことで、癒しへの道が開かれるのです。仏教では、この「病」を無明(むみょう)と呼びます。無明とは、物事の本質を見失い、自己中心的な考えや執着によって迷い続ける状態のことです。

例えば、他人に対する怒りや妬み、自分の過去への後悔や未来への不安など、心の中のさまざまな感情は、この無明から生じています。しかし、仏教の教えに触れることで、これらの感情がどのように生まれているのか、そしてどう手放せばよいのかが分かってきます。気づきこそが、仏教で言う「智慧」であり、この智慧が迷いを解き放つ鍵となるのです。

例えば、怒りを感じたとき、「なぜ自分は怒っているのか?」と心の奥を見つめてみましょう。その根底には、他者に対する期待や「こうあるべき」という執着が隠れていることに気づくかもしれません。その執着に気づき、「自分が少し柔軟になれば、心はもっと軽くなる」と考えられるようになると、怒りがすっと消えていくのです。このように、心の病に気づくことで、少しずつ心が癒されていきます。

阿弥陀仏の慈悲の教えも同じです。阿弥陀仏は私たちの迷いや苦しみをすべて受け入れ、それを包み込んでくださいます。その慈悲の中で「自分の弱さを認めても良いのだ」「迷いの中にいる自分であっても、救われている」と気づけると、自然と心が癒されていくでしょう。

大切なのは、自分の心の状態に正直になること。逃げずに、自らの迷いや執着を静かに見つめ、受け入れることで、心は次第に安らぎを取り戻していきます。それが仏の教えであり、心の癒しへの第一歩です。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

大阪府東大阪市の龍眞院(代表 小田昌良)です。浄土真宗本願寺派の僧侶として、関西一円でお葬式や法要を心を込めてお勤めしております。

ご縁をいただいた方々が、阿弥陀如来の大きな慈悲に包まれ、少しでも安心してご先祖供養に向き合っていただけるよう、日々精進しております。

このホームページでは、仏事に役立つ情報や仏教の教えを日常に活かす法話を発信しています。

またXでも法話を配信し、より多くの方に仏縁を結んでいただけるよう努めております。

目次