
阿弥陀さまの本願に照らされる“よりどころ”を持つことが大切です。
情報が多いほど迷います
情報があふれ、言葉が先行するこの時代において、私たちは何か「知っているつもり」になりがちです。しかし、そのような知識は時として心を曇らせ、本当の安らぎを遠ざけてしまうことがあります。
いま確かに残るものは表面的な知識ではなく、真理にふれた智慧なのです。仏法を灯として歩む人は世の移ろいに惑うことなく、静かに、そしてしなやかに歩み続けることができます。
一方、妄念とは自分勝手な思い込みや執着、あるいは現実を正しく見ることができない心の状態を指します。この妄念が心を覆い、苦しみを加速させてゆくのです。自らの考えに固執し他者を責めることで、縁を損ない、ますます孤独と迷いに沈んでしまいます。
今こそ大切なのは仏法に学び、「無我」の眼差しをもって生きること。自他の区別を超え、共に生かされているという縁起の中で、穏やかに、感謝とともに日々を重ねてまいりましょう。
迷いの時代であるからこそ、心静かに真理を見つめることが本当の安心と平和への道しるべとなるのではないでしょうか。
情報が多いほど人は安心できるように思いますが、実はその逆で、心はますます落ち着きを失っていきます。
だからこそ、阿弥陀さまの本願に照らされる“よりどころ”を持つことが、現代を生きる私たちには欠かせません。外の世界がどれほど揺れても、仏さまは「そのままで歩んでおいで」と、迷い続ける私たちを抱きとめてくださっています。
智慧とは難しい学問ではなく、阿弥陀さまの〈まなざし〉をいただきながら、自分と他者をやさしく見つめ直す力です。
その智慧が育つと、心はふっと軽くなり、日々の出来事をありがたく受けとめられるようになります。そして妄念が起こっても、迷いに飲み込まれず、「気づく」ことで静かに手放せるようになります。合掌🙏
「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」
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