
自分の何気ない一言や行いが、誰かの心を照らしていることもあります。
ともに生かされ、ともに生きる
仏教には 因陀羅網(いんだらもう)という美しいたとえがあります。
それは、帝釈天の宮殿に張り巡らされた網であり、その交点一つひとつに宝の珠がかかっていると説かれています。
その珠は、ただ自分だけが光るのではなく、周りのすべての珠を映し出し、無限に反射し合って輝いています。
この世界もまた、因陀羅網のようなものです。
人間だけでなく、動物、植物、空気、自然、そして目には見えない想いや言葉までもが、互いに影響し合いながら存在しています。
どこか一か所が揺れれば、その波紋は必ず全体へと広がっていくのです。
私たちはつい、「自分は自分、他人は他人」と考えがちですが、仏教の眼から見れば、誰一人として孤立して生きている人はいません。
知らぬ間に誰かに支えられ、また自分の何気ない一言や行いが、誰かの心を照らしていることもあります。
だからこそ、日々の言葉や態度、行動が大切になるのです。
怒りや無関心もまた網を伝わり、やさしさや思いやりも同じように広がっていきます。
因陀羅網の教えは、「自分さえ良ければいい」という生き方から、「ともに生かされ、ともに生きる」視点へと私たちを導いてくれます。
今日の一つの想い、ひとつの行いが、この世界のどこかで静かに輝いている。
そのことを心に留めながら、丁寧に日々を生きていきたいものですね。合掌🙏
「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」
この法話は49日法要や年回忌法要のご縁でもお伝えすることがあります。49日はご家族が集まり、感謝とお別れを偲ぶ大切な時です。
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