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【慢心】「分かったつもり」が学びを止める|お坊さん@出張®︎

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人生経験を重ねたからこそ、初めて心に響く言葉もあります。

目次

仏法は聴聞に極まる

「知っている」「分かった」「自分は大丈夫」。

私たちは日常の中で、このような言葉を何気なく口にすることがあります。しかし、その言葉の裏には、仏教でいう「慢心」という煩悩が隠れていることがあります。

慢心とは、自惚れの心です。

もちろん、自信を持つことまで否定するものではありません。しかし、根拠もなく「自分は大丈夫」と思い込んでしまう時、人は人の話に耳を傾けなくなり、学ぶ心を失ってしまうことがあります。

失敗した後に、「どこから来たんや、その自信。」そんなふうに笑い話になることがありますが、その笑い話の中にも、人間の姿がよく表れています。

親から「気をつけなさい」と言われても、「自分は大丈夫」と聞き流してしまう。仕事でも「これくらい分かっている」と確認を怠ってしまう。

そして失敗した時に初めて、「あの時、もっとよく聞いておけば良かった。」と後悔することは、誰にでもあるのではないでしょうか。

実は、私たちが「分かった」と思った瞬間に、学びは止まりやすくなります。

一方で、本当に理解している人ほど、「自分はまだ十分ではないかもしれない」と何度でも話を聞き、自分の理解を確かめながら歩んでいます。

同じ話を聞いても、その時々の自分の経験や心の状態によって、新たな気づきをいただくことがあるからです。

浄土真宗では、「仏法は聴聞に極まる」と伝えられています。

それは、一度聞けば終わりということではありません。何度も仏法を聞き、そのたびに自分自身を振り返り、煩悩に気づかされていくことが大切だという教えです。

昨日聞いた話でも、今日の自分には違って聞こえることがあります。人生経験を重ねたからこそ、初めて心に響く言葉もあります。

だからこそ、聞き続けることには大きな意味があるのでしょう。

「分かったつもり」は、学びの終わりではなく、立ち止まって自分を見つめ直す合図なのかもしれません。

そして誰の心にもある、根拠のない「自分は大丈夫」という慢心に気づいた時、人は再び素直に耳を傾け、学び続ける一歩を踏み出せるのではないでしょうか。合掌🙏

「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」

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この記事を書いた人

大阪府東大阪市の龍眞院(代表 小田昌良)です。浄土真宗本願寺派の僧侶として、関西一円でお葬式や法要を心を込めてお勤めしております。

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