
幸せとは、すでに与えられている日常の中にあるのです。
当たり前に気づくという幸せ
最近、救急車の音を耳にする機会が増えたように感じます。それだけ高齢化が進み、体調の急変に直面する方が増えているのかもしれません。つい昨日まで元気に過ごしていた人が、突然体に異変を感じ、これまで当たり前にできていた日常生活が難しくなる――そんな現実が、すぐそばにある時代です。
そのように考えると、私たちが何事もなく一日を終えられること自体が、すでに尊いことなのだと気づかされます。何も起こらない一日、特別な出来事のない時間こそ、実はかけがえのない「幸せの形」なのかもしれません。
しかし私たちは、忙しさの中でその尊さを見失い、つい不満や愚痴を口にしてしまいます。けれども、いざ体調を崩し、思うように体が動かなくなったとき、心から願うのは「ただ元の生活に戻りたい」ということではないでしょうか。その時になって初めて、何気なく過ごしていた日々のありがたさに気づかされるのです。
仏教では、すべては移り変わり、同じ状態は続かないと説かれます。この無常の現実に目を向けるとき、「今ここにある日常」は決して当たり前ではなく、さまざまなご縁によって支えられていることが見えてきます。
そのことに気づけたとき、私たちの心のあり方は自然と変わっていきます。目の前の出来事に一喜一憂するのではなく、今ある時間を大切に味わいながら過ごそうという心が育まれていきます。
幸せとは、どこか遠くに探しに行くものではありません。すでに与えられている日常の中にあり、それに気づく心の中にこそ、本当の幸せがあるのではないでしょうか。合掌🙏
「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」
この法話は49日法要や一周忌法要などの年忌法要のご縁でもお伝えすることがあります。
ご供養の中でも特に重んじられるのが49日です。
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