

私たちは形あるものに心を寄せて生きています。
大切な人の写真を飾ったり、お仏壇に手を合わせたり、お墓参りに出かけたりすることも、その自然な心のあらわれでしょう。
形あるものを見ることで安心し、そこに想いを寄せることは決して悪いことではありません。しかし時として私たちは、その形があることで安心してしまい、その向こうにある大切なものを見失ってしまうことがあります。
ご先祖様への感謝の気持ちや、多くの方々に支えられて今の自分があるというご縁のはたらきは、目で見ることはできません。
けれども、目に見えないからこそ、自分の心で感じようとするのではないでしょうか。
遠く離れて暮らす家族や友人のことを思う時も同じです。毎日顔を合わせている時には気づかなかった大切さも、離れて暮らすことで「元気にしているだろうか」「困ってはいないだろうか」と自然に気遣う心が生まれます。
姿が見えないからこそ、その人を想う心が深まることがあります。
仏教においても同じことが言えるように思います。
阿弥陀如来さまは目で見ることはできません。
ご先祖様への感謝の気持ちも目には見えません。
そして私たちを支えている数えきれないほどのご縁のはたらきもまた、目で見ることはできません。
しかし見えないから存在しないのではなく、見えないからこそ心で尋ね、感じようとするのです。
私たちは一人で生きているように思いながらも、実際には多くの人との出会い、ご先祖様から受け継いだ命、そしてさまざまなご縁に支えられて生かされています。
仏教では、形そのものを拝むのではなく、その形を通して見えないご縁や想いに気づいていくことを大切にします。
お仏壇やお墓も、ご先祖様を閉じ込める場所ではありません。私たちがご先祖様とのご縁を思い出し、感謝の心をいただくための大切なご縁の場なのです。
目に見えるものだけを頼りにするのではなく、その向こうにある目には見えない大切なものにも心を向けていきたいものですね。合掌🙏
「この記事は、浄土真宗本願寺派 龍眞院『お坊さん@出張®』がお届けしました。」
この法話は49日法要や初盆法要のご縁でもお伝えすることがあります。
ご供養の中でも特に重んじられるのが49日です。
故人が亡くなられて初めて迎えるお盆を「初盆」といいます。
年回忌法要早見表をご覧いただくと、今年のご法要日程がすぐに分かります。
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浄土真宗本願寺派の正式僧侶である私が、責任をもってお参りいたします。