「なぜ死が不安になるのか?」というお話をさせて頂きます。
仏教というのは、仏の教え=お釈迦様の教えです。生きている人間が絶対の幸福に成る為に色んなご説法をされて居ります。亡くなられた人の為ではありません。そのご説法をお釈迦様のお弟子さん達が書き留められたものを「お経」と申します。そのお経の数は七千余巻あります。その七千余巻すべてのお経を「一切経」と申します。
そこにある「本願成就文」に説かれてる内容は「極楽浄土の阿弥陀如来の本願力によって絶対の幸福にさせて頂ける」という内容です。詳しく言うのは奥が深すぎますので一度や二度聞いただけでは理解できません。一言で言うと「他力本願」です。他力とは阿弥陀如来のお力です。
阿弥陀如来(極楽浄土の仏様)を疑うことなく信じ全てをお任せすれば必ず極楽浄土に往生させて頂く事が出来る。ということです。
たとえ話
飛行機に乗って太平洋の大海原のど真ん中に差し掛かった時にアナウンスで「燃料が無くなってきました。着陸する空港も見当たりません。残りの燃料が切れるまで、皆さまには機内食を全て提供させて頂きますので、どうぞお召し上がりください。」と言われるとどうでしょうか?この先は墜落という真っ暗闇が待って居ります。食事は手にも付かない状態です。このように先が暗ければ、今現在も楽しくありません。死も同じです。
先が明るければ今現在も楽しく幸せです。
休日前は先が明るく(休日という明かり)楽しい気持ちで、休日最終日の夜は先が暗く(明日から仕事という暗闇)暗い気持になります。
この事を意識すれば、楽しい日も多くなりますよ。先に暗闇を作らないように心掛けて、自分の気持ちをコントロール出来ますね。
私たちは亡くなれば、阿弥陀如来のお力によって必ず極楽浄土に往生させて頂けます。その事がハッキリすれば先は明るくなり、今から残りの人生が明るくなります。
是非、仏教を聞き開いてください。やさしい仏教書を読んだりお寺の法話会などに参加して下さい。聞けば聞くほどよく理解出来て心も明るくなりますよ。「仏法は聴聞に極まる」と言われているくらい何度も聞く事が大事です。合掌